結婚を考えていたけれど、あるタイミングで、それが冷めてしまった。
このような経験をした方も多くいらっしゃいます。
皆さんは、どのようなことで、結婚に冷めてしまうのでしょうか。
今回の婚活ブログでは、「結婚しようと思ったけど冷めた理由」について、体験談を募集しましたので、ご紹介したいともいます。
(36歳女性 未婚 東京都杉並区)
大学生の時から付き合っている人がいて、その人と結婚するつもりで11年間付き合っていました。
プロポーズもされましたが、冷めてしまいました。
理由はタイミングと、付き合った期間が長すぎたことです。
大学卒業後、私はすぐに正社員として就職しましたが、相手は大学院に進学しました。
私は一緒にいたかったので、すぐにでも結婚したかったのですが、大学と職場が離れていること・収入のことなどを考えて断念しました。
相手は博士課程まで進み、最終的には大学に残りたいということで、応援はしていました。
ただ、私はその間に社会人として働き、自分でお金を稼げるようになっていたため、結婚の必要性があまり分からなくなっていました。
また、長く付き合うことで恋人としてのドキドキした気持ちやときめきが無くなり、すでに家族のような関係になっていました。
相手の生活が落ち着いてからプロポーズされた時、「本当にこのまま結婚していいのかな?」と迷いが生まれました。
別に1人でも暮らしていけるし、この先一生ときめきのない生活をするのは嫌だと思い、冷めてしまいました。
私が一番結婚したかったのは大学卒業後、20代前半だったので、完全にタイミングを逃したと思います。
(22歳女性 未婚 福岡県北九州市)
当時、付き合って3年半の彼氏がいました。
私の場合は、何かのきっかけで一瞬で冷めるというよりは、色々な事象がつのりつのって、だんだんと嫌になっていくという感じでした。
付き合う前に一度デートで秋の海に連れて行ってもらい、その時はとてもスマートで面白く、優しい人で初めてのデートで緊張していた私をエスコートしてくれる人でした。
そのイメージで付き合い始め、半年くらいは、私も好きで好きでたまらないという感じでした。
しかし、半年を過ぎたあたりからだんだんと彼の悪い部分が見え始めました。
最初は彼の車の運転の荒さから免停になり、自分の家では車がないと買い物も行けないと言って、私の許可もなく勝手に私の住んでいたアパートに転がり込んできたことです。
最初は私もびっくりしましたが、彼が困っているのを見て、しょうがないな可愛い奴めと面倒を見ていました。
しかし、彼は家では家事は全くしない、私のベッドを占領してゲームやネットサーフィン、さらには出かける際に着る服さえも私が用意する始末でした。
車が運転できない彼は、仕事を無断欠勤するようになり、ついには辞めました。
その後うちの近くで働けるところを探すのかと思いきや、全く働く気配はなし。
もちろん私のアパートなので、家賃や水光熱費、インターネット代金、食費もすべて私持ちです。
この免停が明けた後もさらにニ、三度免停をくらっていました。
もちろん働いていないので、お金がなく、自分の家の水光熱費を延滞しており、すべてのライフラインが停止しているので、免停が明けても自分の家には戻れません。
さらには、自分の娯楽費やタバコ代などを私に借金するようになり、三年半で借金は80万に膨れ上がりました。
同棲という名の居候が始まって1年間はこのままゴールインかなと思っていましたが、だんだんと彼がやばい人だとわかり、そんな気持ちもなくなりました。
色々と要因はあるのですが決定打は男尊女卑の考え方でした。
女は男のために働くものという考えが強く、私が家事をしたり、生活費を稼ぐためにアルバイトをして疲れていても、気遣いは全くなく、むしろ、「疲れた。しんどい。」と言おうもんなら、「大したこともしてないのにそんなこと言うな。俺の方が疲れている。」というような人だったことで、もうこの人とは絶対にありえないと思いました。
(35歳女性 未婚 大阪府吹田市)
私は一人旅が好きで、よく近場のアジアに旅をします。
私が結婚したいと思った男性とは、ネパールを旅していた時に出会いました。
彼はインド国籍で、私より10歳若い方でした。
道端で雑談して友達になり、熱心なアプローチを受けて交際を始めました。
最初はお金目当てやビザ目当てだろうと思い、軽い気持ちで付き合っていましたが、彼はお土産店をいくつか経営しており、日本に来る気も全くなかったので、時間をかけてその懸念事項は払拭されました。
彼とは宗教の違いや文化の違いで何度も大きな喧嘩をしましたし、海を越えての遠距離恋愛ではコミュニケーションも上手く取れず、度々破局の危機を迎えました。
しかし、お互い尊敬し合い、この人以外とは生涯を共にしたくない、という気持ちが2人とも強かったため、婚約をしました。
そして次の彼の帰省に合わせてインドのご両親にご挨拶に伺う予定を立てていた矢先の事です。
彼の店の経営状態がよくなく、お金を貸してほしいと言ってきました。
私はそれを聞いた瞬間、やはり金銭目当てだったのかと力が抜ける思いでしたが、私自身も退職したばかりでお金がない事、日本では金の切れ目が縁の切れ目である考え方がある事を伝え、彼にも分かってもらえました。
その後、彼とは仲直りし、彼のお店の経営状態が上向きになる事を待っていました。
しかし、またお金に苦しんでいるようで、ひどく辛そうでした。
私は彼のそばについていてあげたくて、ネパールまで会いに行こうか?と言いました。
すると彼は、航空券を買うほどの金銭的余裕があるのなら、お金を貸してほしい。と言ってきたのです。
それを聞いて、手から携帯が滑り落ちました。
自分の見る目のなさ、最初の時点で別れておかなかった往生際の悪さ、信じていたものが崩れた絶望感、とにかく情けなくて惨めで、言葉では表現できません。
彼に対する情熱や尊敬、愛情など全てが冷めていきました。
その後、破局理由を説明する精神的余裕もなく、縁を切りました。
(33歳女性 結婚した年齢32歳 兵庫県宝塚市)
付き合っていた彼からの突然の「俺、イクメンになると思うよ」というセリフで一気に冷め、地の底まで気持ちが落ちました。
私は一度も子供を欲しいと言ったことがないにもかかわらず、女は子供を産みたがっているものだと決めつけていることに呆れました。
思わず「は?誰が子供産むって言った?」と真顔で言ってしまいました。
まだ親にも紹介していなかった当時、一度も子供の話題なんてしたことがなかったので唐突すぎて私はかなり面食らってしまったのです。
どうやら付き合いが長くなり始めて、付き合いたての頃と少し落ち着いてきたことに対し、彼は「俺に飽きてきたのか…?結婚を匂わせるようイクメンアピールして繋ぎ止めておかなければ!」という思考回路になったのだと推測されます。
その安易な考えがものすごく幼稚でしょうもなくて必死さがにじみ出ていて、ものすごく冷めました。
彼にとっては、まさか私がこんなに子どもを拒否する女だとは想像もしていなかったでしょうから、お互い冷めたのではないかと思います。
(36歳女性 結婚した年齢35歳鵜兵庫県明石市)
元々飲み友達だった人と進展して、両親の顔合わせも済ませ、式場を探す段階まで進んだ相手がいました。
結納はしないと2人で決めておいたのに、顔合わせの時に相手の母親が結納は絶対にしてもらうと言ってきました。
驚いて相手を凝視しましたが、目も合わせてもらえませんでした。
その辺りから違和感を持ち始め、式場探しで決定的になりました。
相手の両親が何かと口出しを始め、相手はそれに対して言いなりな姿を見るのは悲しさや怒りを超えて最終的には呆れていました。
私の誕生日に挙式しようと決めていたことすら無視してナチュラルに親が勧める別の日を探し始めたり、仕事は続けると言っていたのに地域の行事や家の手伝いがあるから辞めてもらうと言ったり、相手の親から着物は何着作って持ってくるように、着付けを覚えてくるように…など数え切れないほど指示を受けました。
相手の実家に行っても、相手の父親が自分の家を古くからの良家、私の家はニュータウンの家と無意識に差別的に扱われるのも我慢の限界でした。
思い切って一度相手に伝えてみたところ、「古い家だからそうやって我慢させてしまうかも、話は聞くから言ってね。」と言ってくれましたが、「基本的には自分でちゃんと伝えてみて、ダメだった時だけにして」と本気の目で言ってきたのでもう無理だと別れました。
別れて正解だったと心から思っています。